息抜き&考える自分

 陶芸作家 「三吉房」本間さん
昨日まで、尾賀商店のイベントスペースが陶芸家の展覧会会場になってました。
そこで、気さく?奇さく?な本間先生の陶芸教室に参加。
斎藤江湖さんと粘土をコネコネ。。
先生からは、完全に放置された二人。。。
好き勝手な二人。。。
必要以上に楽しむ二人。。。
賢治:花器「異型器」 花器「異型壺」 地蔵さん
江湖:花器「一輪挿し」 文鎮「絶対おかしい」 鬼?
たまいは、いいね。
先生ありがとう御座いました^^
楽しかったです♪

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ここ最近よく考える事があります。
人と話をし、意見を交わす。
凝り固まった私の頭を誰かにほぐしてもらいたくて。
でも人任せでは、何も変わらないのも知っている。
人の話を聞き、人の意見に対する意見を又言う。
よい結果が出る事もあるが、微妙な空気が流れる事もある。
白黒好きの私は、意見を交わしながらも、「お互いの意見に対する意志の強さ」を力比べしている気になり、相手の声が聞こえないうちに攻撃する悪い癖があります。
攻撃しながらも「あかん。。。聞かないと」といつも気付くが止まらない。
これでは、成長も遅いはずだ。
でも、「良い判断を下す」という、お互いの目標は同じであるはずだ。だから、余計に会話は難しい。
私は、分別すると「ねじ伏せ型」である。
私の尊敬する人達の共通点は「人の話を聞ける人」である。
要は、相手が尊重してくれるからこちらも尊敬する。
たまに居るんだよね。そういう大人。
私も脱皮しないといけませんね。
正直言うと、常に私は不安なんです。
人には自信家だと言われますが、本当は、人一倍臆病です。
自分の考えが正しいかどうかを「意見」「提案」という形に変換し、それを周りに投げかけ判断を委ねているのであります。
今までは、勢いだけで来た気がします。
考える事を途中で止め、頭を使わずに突っ走る。。
そろそろ、そういう訳には行かないような空気を感じました。
ある友人に言われました「30の壁は高いぞ」と。
意味が分ってきました。
まだ、全く天辺の見えない壁を登り掛けている自分がここにいます。
この壁をどう登るかで、40歳以降の人生が決まる。
目標である50歳の自分に成れるのか。正念場です。
でも、天辺がどんなモノかを想像しながら、駆け登ります。
天辺は自分で作るモノだから。